「簡単な物語を好む人」その危険性について


私は数年前からツイッターを利用しております。

最近、フォローしてる人のつぶやきだけでなく、私がフォローしてる人の、さらにその人がフォローしてる人のつぶやきも、タイムラインに流れてくるようになりました。

もはや一切接点がない人のつぶやきですので、機能実装当初は無視するだけと思っておりましたが、そこはフォローしてる人がフォローしてる人ですので、どこか感性に似通ったところがあり、結果としては、ついつい「リツイート」「いいね」をしております。

そんな接点のない人のつぶやきの中でも、「考えてみた」ツイートが結構好きです。

もともと私がフォローしている方々に「考えてみた」ツイートを定期的に発信してる方が何人かいらっしゃいますが、この方々は私にない知見があり、私が発想できない主張をしますので、私はそれを見ながら日々思考を巡らせております。
※動機から何からご年配の方がボケたくない一心でやってる習慣(おまじない)と一緒

フォローしてない人、接点のない人の「考えてみた」ツイートをみると、まったく知らない人の発言かつ、仕事関係の話だったりで、私が見ても「何言ってるかわからない」ものも多くあります。

中にはただただ私の考え方とは真っ向対立する主張もあります。
それらの多くは見てすぐに、認識情報量の差によるものとわかりますし、大抵誰かしらに指摘され、やいやいしてるの見るのも素敵です。

でもそんな一部のものを除けば大半は、私が興味ひかれるものです。
もちろん知らないことを知れたり、気付かされることもあります。

そんな興味惹かれる「考えてみた」ツイートの量産主に砂鉄@satetu4401さんがいます。

自ら「思考実験」と語るように、この方は日々興味深い思考内容をつぶやいております。

今回の内容はそんな砂鉄さんの思考実験から、さらに実験して、私なりの見解を述べたものになります。

一度ここで思い出してください主題は「簡単な物語を好む人」その危険性について
※主題明示の圧倒的遅刻

以下に、砂鉄さんの普段のつぶやきをいくつか記載します。







いくつか引っ張てきました。返信に続きを書いてたりするので、全文ではありませんが。

私がやろうとしても、私の場合思考を言葉で整理してないので、1週間かけて言葉整えて、ようやくこのレベルの1ツイートできるかどうかです。できるかなぁ!

そして以下が主題のつぶやきです。
※今では消されているため、内容は思い出して書き起こしてますので、細かい表現に差異があります。それでも大筋は再現できたと思います。


***
ヲタクがアニメで難解な物語を好むのは、ヲタクには社会が理解できず、生き辛く、彼らにとって、社会は難解なものでなくては許せないから。

社会が簡単なものであることを理解している人達は、難解なアニメを見ない
***


多分にヲタクは頭が悪いといった含みのあるつぶやきですが、特に惹かれたのは、当時私なりに解釈したところの「社会を生き辛い人達は、難解な物語を好む。なぜなら簡単な社会を理解できないから」という考え方になります。

このつぶやきで使用された「難解な物語」の表現について整理しておきます。その表現の示すものは、脳に、精神に、負荷のかかる、以下のような物語と考えます。

■難解な物語
 ・展開が読みにくい、すこし目を離すと話が解らなくなる
 ・行動原理も感情もはっきり言葉で説明されない
 ・思考しながら追わないといけない
 ・困難に苛まれるような、登場人物の苦しみが描写される
 ・追えば現実を生きる困難さが想起される

対するは「簡単な物語」として、単純に上の「難解な物語」とは逆の性質を持つ物語とします。

■簡単な物語
 ・展開が読みやすく、すこし目を離しても話が解る
 ・行動原理も感情もはっきり言葉で説明される
 ・思考しなくても追える物語
 ・苦難は一切なく(一見困難に見えても簡単に解決する)
 ・登場人物は苦しまない
 ・現実の困難さは一切想起されない物語



このつぶやきのように一旦社会が簡単なものだと仮定すると、社会を生き辛い人達は、簡単なことも理解できないくらい、頭が悪いことなってしまいます。

社会を生き辛い人達は(特に難解な物語を好む人達は)、自分の頭が悪いことを否定するために、本能的な自己防衛によって「社会は難しい、難解である」ことを肯定する材料で、自分の周りを固めようとします。

自分の周りを自分で集めた肯定材料、「難解な物語」で埋めて自分に言い聞かせます。

「あの登場人物も、襲い掛かる苦難に悩み、苦しんでいる」
「あの登場人物も、この登場人物も、全然うまくいっていない、苦しんでる」
「社会も同じだ、社会は難解だ、難しい、理解できないのは当然だ」

「だから自分は大丈夫だ、自分だけが社会で苦しんでるわけじゃない」
「社会が理解できないのは、自分の頭が悪いからじゃない、みんな理解できてない」

言葉を合わせながら表現しようとするとこんな感じでしょうか。

低収入だったり、社会的弱者という立場は許容できても、自分の頭が悪いという自己評価をしたくない、許せない。

そういう人たちが一定数いるのは確かです。
そして私もその一人だと感じます。

・「アニメ」なのか、映画やドラマ、本も含む「難解な物語」なのか
・「ヲタク」なのか「難解な物語を好む人」なのか
表現のブレは置いといて、非常に惹かれました、共感に近いです。
リツイート数もいいね数も当時、数千を超えて伸び続けておりました。

「社会を生き辛い人達は、難解な物語を好む」は非常に刺さります。
かくいう私はアニヲタで、超がつくほど「難解な物語を好」み、生きてて辛くないか、精神的に辛くないかと聞かれると、はっきり否定はできません。

私は毎シーズン、全新作アニメを観て「難解な物語」を探します。

新作アニメの多くは「簡単な物語」ですので、よほど楽しめる魅力がない限り途中で切ってしまい、最後まで観るのは、展開やオチが読みにくかったり、言葉で語られない感情を考えなければわからなかったり、あとは単純にコメディ要素や、起承転結が気持ちのいいアニメだけになります。

圧倒的に「難解な物語」が好きなので、最近は本も読んで「難解な物語」を探してます。

そんな私が「難解な物語を好む」理由が「簡単な社会を理解できないから」ですから、この思考実験のつぶやきについて考えないわけにはいきません。



つぶやきにはいくつか返信がありました。



こちらは私もほぼ同意見です。まずそうだろうと考えました。




こちらもその通りだと考えております。
※ツイッターアイコンが白いのは仕様です。お使いのパソコンは正常です。

あまり声を大にすることは憚れますが、単純に考えて、現実がうまくいかない人ほど、脳に報酬が足りてない状態ですので、足りない報酬を物語で得ようとする人は、より手軽に、さらには低コストで報酬を得るために、思考負荷の少ない「簡単な物語」を好むのではないでしょうか。

「簡単な物語」で報酬を得るといっても、媒体が本だと読解負荷が発生しますので、多くは「アニメ」「映画」「ドラマ」のような視覚によって、物語を追うのが容易になる媒体を好むと考えます。

また、「簡単な物語」に報酬を求めない人は何によって脳に報酬を与えるか思いつくものをいくつか上げると、仕事で成果を上げるか、買い物か、家族やパートナーに甘えるか、お笑いで笑うか、性欲に走るか、麻薬に走るかでしょうか。



私は砂鉄さんとは対立意見になり、現実がうまくいかない人ほど、思考負荷のかかる難解な物語を観ていられないと考えます。



性にオープンになってきた社会背景から、ハーレムものが許容される割合が増加していることは置いておきます。

この返信より上の返信と、私見から、「最近は超絶イージーなハーレム物語ばかり」は、日本社会全体のストレス上昇のために、「難解な物語」を観る人が減り、「簡単な物語」を観る人が増えた結果、返信の結論とは逆で、

「負け組が増えたから、簡単な物語ばかりになった」
と考えることもできます。ただし根拠としては弱いですね。

簡単な物語が増えた理由は、以下の理由が何より影響していると考えております。

・一昔前と異なり、個人で作った物語が発信しやすくなっている
・誰が認めてなくても(つまらなくても)足切りが無い
・例え未完成でも発表できてしまう

★1
しっかり錬られた「難解な物語」と比べ、「簡単な物語」は作りやすく、すぐに次が出せます。伴い、「新しい」ものとして世に顔がでやすい
 ⇒ 人目に触れやすい
 ⇒ 有名になりやすい
 ⇒ 売れやすい

★2
アニメ化する際、原作者に支払う金額を節約するため、今有名になりつつある新人、上に記載したような簡単な物語を量産する有名作家を起用する
※完全に有名になった作家だと高額
※実力が伴う難解な物語書く作家は他から高額で声がかかる

★3
アニメ化する際、原作者に支払う金額を節約するため、自分たちで「簡単な物語」を書いて費用を浮かす

★結論
需要がどうとかではなく、作りやすさ、発信のしやすさによって「簡単な物語」が割合多くなってきていると感じます。


以下は私の返信です。







最後の内容を補足します。

「簡単な物語」のアニメを観ることを、一時的な娯楽として嗜む程度であれば問題はありません。

しかしながら「簡単な物語」に含まれる、「現実から乖離していてる」物語は、相乗効果といいますかなんといいますか、危険なものではないかと警戒してます。

現実が生き辛く、ストレスを抱えた人達が、脳負荷少なく刹那的報酬を得たいがために、簡単な物語ばかり観続ける。

何の脈絡も工夫も努力もなく、ひたすら順調に幸せになっていく物語を観続ける。

因果関係が現実から乖離して描写され、それを見続けることになるのですから、少しずつでも、現実を生き辛くすると考えます。

物語上で簡単に解決するものが、現実ではうまくいかないことに、手遅れになってから気付いたり、もはや気付くことすらできなくなったり。

区別できるうちは構いません。定期的に頭空っぽにして、リフレッシュして生活が豊かになる分にはむしろ薬です。

娯楽と現実をしっかり分けて、現実で成果を上げるべき局面で、思考の阻害にならないなら、あるいは、どこでもいつでも「何とかなる理論」を主張して、防げたはずの損害を出さなければ、問題は無いと考えます。

「いつか自分も、このまま我慢していればきっといつか幸せになれる」

望みの薄い、勝率1%下回る賭けに、それを賭けとも気付かず、必ず幸せになれると信じ切って、思考を止めてしまわなければ、また、アニメの台詞をどこでもいつでも通用すると信じて思考を止めてしまい、関わりある隣人の方々に迷惑さえかけなければ、問題はありません。



私は二十年前から「簡単な物語」を嫌っております。
それを観ることで、少しずつでも、生き辛くなる危険性がある、そう感じているからです。

制作側はより低コストで、より大きな利益を出さなければなりません。
直接の制作者ではなく、経営陣に多いはずですが、彼らは観る側の人生がどうなろうと問題にはしません。

資本主義国家日本で物語が量産されることで国家衰退なんてまさか?でも日本は国民幸福度低いし自殺者も多いんだっけ

コメント

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