【次点】ジョーカー【感想】


 ジョーカー思ったより物語に入れませんでした。

 ちらと前評判見聞きした限りでは「絶対ハマる」と思ったのに。。
 映画に疎い私には、演技も演出も展開も、どれをとっても一流の技術が注がれているように見えたというのに、悔しいので何故入れなかったのか考えてみます。

 まず一番に思いつくのは、あまり観客を作品に引き込むと、観た人を「ジョーカー」にしかねない、という危惧から、監督?脚本?が吸引力を抑えた、制作側の配慮により没入させてもらえなかった可能性です。

 登場時点のアーサーは、自身がカウンセリングに通う障害持ちでありながら、認知症の母親を毎日介護して、ピエロに扮装し店の売り子として働き、貧しい生活を送っている様子です。

 母親と過ごす家では、介護負担を横に置いてしまえば、母親想いの息子、息子想いの母親で、互いへの信頼関係は良好で、大好きなコメディ番組を2人で観て、そこに唯一の癒しが存在します。
 これだけであれば「ジョーカー」は生まれませんでしたが、アーサーが持つ突発的に笑ってしまう障害は、一度笑い出したらすぐに収まらないことが多く、発作を起こす度に白い目で見られ、トラブルにも巻き込まれます。

 アーサーの、子供の頃からコメディアンになりたいという夢も、そんな障害を持つ息子に対して、母親がかけた「どんな時も笑顔で人々を楽しませなさい」の言葉に起因すると思います。

 白い目で見られ、馬鹿にされ、暴力を振るわれる。
 心を許せる友人もなく、たまにスタンダップコメディを観に行っても、意識しないと一人笑うタイミングがずれてしまう。
 日々ノートに新しいネタを書き込むけど、発作のせいでコメディアンの仕事はもらえない。

 日常的に薬を服用し、ごまかしていても、その心の内は苦しみで満たされている。

 はっきり描かれているのはそこまでです。
 容易に、幼いころはより壮絶な体験をしていることが想像できます。

 その日何をされどれだけ苦しかったかなど、母親に言えなかったことも多くありそうです。
 あの時代のカウンセラーに相談していたとして(そんなものがいない時代かも)、描かれたアーサーを見る限り、心は救われていない様子です。それどころか「心の病気など存在しない」とあしらわれ、より深く傷ついていたかもしれません。

 その辺りをもっとしっかり描けば、観客はより入りやすいと考えますが、作中ではついに描かれませんでした。

 日本にやってくる外国産の映画(特にジョーカーのような作品に対して)は、制作側に相当な実力があると私は考えます。「尺の都合」とは別の理由で、意識的に描写を避けたように感じます。
※その狙いが、観た人を「ジョーカー」にしないためとは限りませんが

 突発的に笑ってしまい、それはすぐに収まらないという障害がどれだけの地獄をもたらすのか、これは考え続けることにします。

 次に思いついたのは、私個人の問題に起因するものです。
 突発的に笑う障害はないものの、私にも後天的な障害があります。こちらは中学の頃に確かになりました。
 私が私の母にうすら寒いものを感じたのは、幼稚園の頃が最初で、それが確信に変わり、母を切り捨てることを決めたのは小学生の頃です。
私にはこれまでの人生で、アーサーが母親へ向けたような、誰かを信じる、救いにするといったことはできていません、この先もできないままかもしれません。

 そんな私には、アーサーの母親の、毒親としての振る舞い、「アーサーへの裏切り」が、どれほどアーサーの心を傷つけたのか、まるでわかりませんでした。
 作中の重要なキーのはずなのに、すごく損した気分です。。

 最後に、入れなかった原因ではなく、私の好みですが、
 「悪のカリスマはこうして生まれた」を描くために、アーサーには過度に特殊な生い立ちが設定されていて、私にはこれが、可能性の排除、選択の自由がない印象を受けました。
 選択した未来の積み重ねではなく、避けようのない外的要因、抗いようのない運命のままにジョーカーが生まれたとする物語。
 アーサーが誤った選択をしてジョーカーになったというより、最初から、生まれた時点でジョーカーになる以外の道は用意されていなかったかのような展開。

 犯罪者を主に据えた物語で、何をやっても変わらない、何をやっても今より悪くなる、何を選択しても救いようのない運命に帰結するというのは、観る側に向かって「お前も生まれが不遇なら犯罪者になれ」と言ってるようで気に入りません。こっちはなりたくないんじゃ。

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