【比較】実写「花とアリス」とアニメ「花とアリス殺人事件」
ウソはウソと気づかれないほど、観る人は作品にのめりこめます。「それはない」と感じた分だけ、観る人の意識は作品から離れていきます。
実話でもなく、楽しいわけでもなく、学ぶものがあるわけでもなく、そんなどうでもいい話なら、誰も耳を傾けようとはしません。
アニメーション映画「花とアリス殺人事件」
■中3設定は無理すぎ
どれだけムーの演技力が神がかっていても、クラス全体が、アナフィラキシーを連呼する幽霊を信じちゃうとか、許されるのは小学校までです。転校生を紹介するのに「新しいお友達」とか言っちゃう先生や、「ウソ」に対する知識不足で解説やめちゃうお母さんなど、全体的に知能指数がやたら低いと感じました。大人としてのキャラクターがいません。
登場人物全員が設定上の年齢、思考レベルで実在したなら、笑えない惨劇になります。実写なら役者の演技力不足で不可能でも、アニメなら小学生設定は可能です。頭空っぽだからこそ爽快な物語で、なぜ中3設定に拘ったのか。
■のっぺりした画
トレースでしたっけ。せめて信号レベルの影がないと、線だけ立体感が強い分違和感がひどいです。「花とアリス殺人事件」への文句はこんなものです。いきなり仲良しすぎた感は否めませんが、「花」と「アリス」のやり取りや小ネタの数々は、見てて本当に楽しくて、繰り返し観てしまう映画です。
実写映画「花とアリス」
■絶対にみんな忘れてしまう作品
記憶喪失思い込み、フリをしてたら好きになっちゃう元カノ、そんな素振りゼロなのに最後は今カノを選ぶ彼氏、「ない」と感じてしまいました。もっと理由がほしかったです。みなさん役者目指して友達と遊べないからしょうがないのでしょうが、バレエ教室でのアドリブ会話にコミュ障出すぎです。
今カノの泣き告白ですが、破顔演技オーバーです。
バレエを踊るシーンなど、同じような画面が続く際、区切るように電話のやりとりなどの別の描写を入れていますが、同時進行させる意味がわかりません。メッセージが完全に乖離した描写を交互に切り替える意味、広末涼子さんなどの大御所役者を映す時間稼ぎか、年齢比較の演出か。
元カノは、好きな人が結局親友のもとへ行ってしまい、失恋したはずです。うまくいかなかった芸能界の仕事をもらえたことでなんだかいい感じに終わってますが、好きな人が行ってしまったままです。仕事もらえてチャラになるん?
失恋の後のオーディションで、「もういい」と言われても引き下がらずバレエを踊る成長表現ですが、そもそもあの程度踊れたぐらいでオーディション通る業界じゃありません。バレエさえできたら誰でも通るように見えます。芸能界をそんな安い世界に見せてしまうのはアホが増えるので本当にやめてほしいです。
成長表現については、リアルな創意工夫によって結果を得るといった、現実に通じるものを入れるべきです。
成長表現については、リアルな創意工夫によって結果を得るといった、現実に通じるものを入れるべきです。
コメント
コメントを投稿